Looking through a glass onion.
Oh yeah oh yeah oh yeah
Looking through a glass onion.
ガラス玉葱を通して眺めてごらん
そうさ そうさ そうさ
ガラス玉葱を透かして見えるでしょう
(ビートルズ /「
グラスオニオン」より)
「ガラス」を水のメタファーとして扱う作家は多い。「
唐十郎」も、その一人だと思っている。
すでに1年以上前の話になるが、その唐十郎が、原作・脚本・主演と一人三役をこなした「
ガラスの使徒」という映画を下北沢の小さな映画館で見た。
唐十郎演じる町工場の伝説的レンズ研磨職人が、冒頭から巨大レンズを尻で撫でまわすシーンから始まる。磨かれるレンズは常に水と研磨剤の皮膚に覆われ、レンズ職人は祈るようにそれを指紋で愛撫する。しかし、レンズとの蜜月も現実という波によって攫われてしまうことになる。ガラスの精の少女は人魚へと転身するように、ダム湖に沈んだ仕上げの研磨剤「化粧砂」を探しに水の中へ・・。夢のように光がたゆたうなか、現実と非現実が交差し、やがて物語は、乾いた水へと浸されてゆく。まさに、演劇人たちが創った、アンダーグラウンド・ファンタジーといった映画だ。
実は、この映画がクランクインする前に、関係者からある頼まれ事した。それは美術監督からの要望で、工場のレンズ職人の部屋のセットの壁に、
フェルメールの「
天文学者」と「
地理学者」の絵のポスターを貼りたいというものだったが、販売店を探してもどこにも売っておらず、撮影日も迫っていて間に合わないので、そのポスターを作ってほしいというものだった。
画集からその絵をスキャンすることは、版元の権利を侵害することになるし、まして印刷物を引き延ばすと網点が目立ってしまうので、どうかと思ったのだが、セットの一部なのでそれほど目立たないし、それより撮影日に間に合わないということもあって、急ごしらえでそのポスターを作った。印刷の悪い古びた画集を使ったので色をごまかしたり、なるべく引き延ばされた網点も目立たないように修正した。ついでに富士山の写真が入ったカレンダーも頼まれて作った。そして、撮影は無事に始まることとなった。
その数ヶ月後、朝日新聞の夕刊のコラムに、フェルメールの記事が載っていた。
フェルメールの絵は正確な遠近法で描かれているため、「
カメラオブスキュラ」という投影装置を使ってたのではないかという説が有力なのだが、そのフェルメールが使っていたカメラオブスキュラのレンズは、なんと哲学者「
スピノザ」が研磨したものではないかという記事であった。しかも、二人の間に親交があって、書簡を交わしていた可能性も示唆していた。
私は驚いた。たしかに、二人は同時期オランダで創作活動をしていたし、年齢も同い年である。スピノザがレンズ磨きで生計を立てていたという説は賛否があるが、研究のために研磨する技術を持っていたことは確かだ。それに当時は、カメラオブスキュラ自体が希少であっただろうし、レンズを研磨する技術も、誰もが持っているわけではなかったであろう。そのことを考えると、その可能性は高いと言える。
私は、美術監督がそのことを知っていて、フェルメールの2枚の絵を選んだのではないかと思い、スタッフにメールで確認をしてみたところ、美術監督をはじめ監督も知らなかったと聞かされ、さらに驚いたし、相手も驚いていた様子だった。フェルメールの絵を選んだのは「偶然」だったのである。
私は、映画館の暗がりの中でスピノザのことを考えていた。唐十郎演ずるレンズ職人を哲学者スピノザと重ねるように観ていたのだ。
スピノザは神学者でありながら「自然こそ神」という汎神論を唱えた哲学者である。それは神道のアニミズムの思想にも似ている。アニミズムは野蛮で神秘的なものではなく、アニミズムとマテリアリズムの統一であるとドゥルーズが指摘しているように、スピノザは実在としてのレンズのなかに、自然の「神」を見ていたのではないだろうか。唐十郎は、この映画に寄せるメッセージの中で「葉子(主人公の少女)は、レンズを通過した太陽光線の、一点の絞りに耐え、アニミズムの神が、「どうだ熱いだろうと言ってる」と伝える」と語っている。唐の表現を借りれば、唐十郎は、まるでスピノザと同衾(どうきん)したがっているようなのだ。(同衾とは、一つの布団に一緒に寝ることだそうだ)
2004年、偶然にも、そのオランダで「
流体レンズ」が開発された。液体の表面張力を電圧で制御し、自由に厚みや球面を作り出すことが出来る。もう、ガラスを研磨する必要はなくなるのである。レンズは、固体から液体へ、正確に言うなら「自ら形を持たないソリッドな流体」へと変移していくのだ。
スピノザも唐十郎も、その研磨する指先で、堅いガラスがアラビアゴムのように溶け出し、液状化していくような既視感を幾度となく知覚していたに違いない。ガラスは自らの固い殻を打ち砕き、やがて純真無垢な水溶液へとメタモルフォーゼしていくようなのである。ちょうど主人公の葉子が、そうであったように・・。
映画が終って人々が席を立ち始めた頃、関係者から「名前見ました?」と聞かれた。私は一瞬「え?」と思ったが、すぐに解った。映画のエンドロールに私の名前を入れていてくれたのだ。それを私は、ついぞ見逃してしまった。
ビートルズのグラスオニオンを初めて聞いて以来、ガラス玉葱をずっと丸のままの玉葱としてイメージしていた。しかし、ある時「ふっ」と思った。玉葱を半分に切って、肉皮を一枚めくると半球面のレンズのように見えるではないか。しかもジョン・レノンはビートルズ中期頃から、あの丸い眼鏡を掛けはじめている。グラスオニオンのガラス玉葱は「レンズ」のことでもあるのだなぁと、その時思ったのだ。